<< (患者を生きる:2512)子に希望を 食物アレルギー:1 粉ミルク、全身紫色に:朝日新聞デジタル | main | (患者を生きる:2514)子に希望を 食物アレルギー:3 校長の発案で注射の研修:朝日新聞デジタル >>

2014/06/07 土

(患者を生きる:2513)子に希望を 食物アレルギー:2 家族で目標、前向きに:朝日新聞デジタル

(患者を生きる:2513)子に希望を 食物アレルギー:2 家族で目標、前向きに:朝日新聞デジタル

 生後5カ月で食物アレルギーを発症した大阪府大阪狭山市の田野ちなりさん(10)。2004年秋、1歳になった。母成美さん(38)はその頃、原因となる食品に触れさせないようにと、神経を使う毎日にふさぎがちだった。

 「3年後に東京ディズニーランドに行って、ソフトクリームを食べよう」。ある日、父雅樹さん(42)が提案した。ちなりさんが幼稚園に入る08年春までに、牛乳を含むアイスと小麦を含むコーンを食べられるようにしたい――。

 家族としての目標をもつことで、成美さんは前向きになれた。専門医のセミナーや学会に出向き、勉強を始めた。食物アレルギーの子を持つ近所のお母さんたちと親の会「Smile・Smile(スマイル スマイル)」を立ち上げ、治療の情報や悩みを語り合った。

 05年秋、ちなりさんは肺炎で府立呼吸器・アレルギー医療センター(大阪府羽曳野市)に入院した。小児科医の亀田誠(かめだまこと)さん(50)は食物アレルギーがあると聞き、食事について成美さんに尋ねた。

 血液検査で陽性だった食品は一切口にさせない。検査を受けず、アレルギーがあるか分からない食品さえも食べさせなかった。「怖い思いをしたんだな」。亀田さんは思った。アレルギーによるアナフィラキシーショックで意識を失う娘を目にしたことで、どんなに不安な毎日だったか……。

 陽性の食品でも実際は症状が出ず、食べられることがある。入院して少量を数回に分けて食べ、症状が出ないか調べる「食物経口負荷試験」をやることにした。

 最初は、成長に欠かせないたんぱく質を含む肉や魚。症状が出なければ自宅でも安全な量を食べ、症状が出なければ家族と同じように食べることを認めた。3歳までにサワラやタイ、サケ、マグロ、鶏肉が食べられるようになった。

 08年春。ディズニーランドへ行った。症状が出やすい小麦や牛乳、卵の試験はまだだったため、ソフトクリームは食べられなかった。でも、アトラクションは楽しんだ。「牛乳が飲めるようになったらまた来よう」。家族で決めた。

 10年春、小学校に入学した。給食が始まる。食物アレルギーのある子を受け入れても大丈夫か。学校の困惑を、成美さんは感じた。

Trackback URL


Comments

Comment form